ゆく年くる年

あっというまに大晦日で、大掃除やら棚卸しやらあれこれ慌ただしい。毎年前日が誕生日なので、さらに時が早く感じるのかもしれない。

 

さて、この2年コロナ禍により全世界の誰もが今までにない経験をし、考え、探りながら新たな生活パタンを送っていると思う。

私自身最初の1年は不安が先行し、とにかく静かにしていよう、、という気持ちが大きかった。基礎疾患者が身近にいることもある。2年目の2021年はそんな状況でもできそうなことをしていこう、と小さなこからやり始めた1年だった。そして人生の節目の歳を迎えるとともに次のステップになる印象深い年でもあったので、まとめておきたい。(しかしまとまっていないただの長文)

 

2021年3大トピックス

・入院ダイエット

・パンダの生態に興味を持つ

・リカちゃんハウスプロジェクト本当に始動


・入院ダイエット

かねてより経過観察をしていたが、抱えている懸案事項は1つずつつぶしていくべしと重い腰を上げ、外来ー>精密検査ー>入院ー>手術をすることに。この決定まで2か月弱。場合によってはとてもよろしくない状況になるかもしれず気が重かったが、幸い見通しは明るかった。

手術自体は急がなくてもよかったが、緊急事態宣言のタイミングとその後のイベントなど仕事の兼ね合いで復帰時期を医師と相談し、1月早々実行するようむりくりスケジュールを入れてもらった。

 

再び緊急事態宣言が発令された中での入院生活はとても緊張感があったが貴重な経験だった。27年ぶりだったので(その時はひざ手術)、当時から進化したな―、ごはん美味しいなー、手術室まで歩いていくのか―、シャワー勝手に使っていいの快適!実習学生かわいいなー、がんばれー、院内のスタバでコーヒー飲めちゃうとか。

 

手術があるとはいえあまり不安感はなく、1日中ごろごろできること、睡眠導入剤のおかげで1年で一番深い睡眠がとれたのが嬉しかった。手術前も後も、窓際の一番良いポジションを取れたのも快適な入院生活と感じたことの1つ。これは生前の田代先生が入院中ツイートしていてとても参考になっていた。残念ながらPCは使えなかったが、緑ある外を眺めながらの読書三昧は最高だった。でも朝晩毎日おなかへの筋肉注射だけは痛くてつらかった。

(しばらくして田代先生がお亡くなりになったと伺い、悲しくて仕方がない)

 

こんなことを書けるのも、必ず治ると約束されたようなものだったからかもしれない。

 

自身はのんびりしながらも、急性期の患者が集まりコードブルーを何回か聞くような院内。向かいのベッドの手術後のおばあちゃんは、ほんとうにつらそうで食事もとれず点滴のみでうんうん唸っていた。”先生、わたしがんばりたいんだけど、どうしてもいたくてつらい。。” 。そんな声が聞こえてくる。おばあちゃんの肺にたまった水を取りのぞき続けているのだろうその装置の音を聞きながら、少なからず生きることについて考えた。

 

看護士は究極のプロフェッショナルで究極のサービス業だ。コロナウイルス感染防止のために作業がひと手間増え、それだけでも本当に大変そうだった。頭が下がります。

 

そんな入院生活で楽しみを見出そうとした1つが入院ダイエット。

この年になると”中年太り”というものがつきまとい、いくら運動をしてもなかなか痩せられない。まして外に出歩かなくなってしまった1年で体重がぐんと増えてどうしようかと思っていたところ、強制的にコントロールされたお食事と規則正しい生活の日々。これはいけるのでは?

 

もくろみどおりたった1週間だったがこの生活習慣が後々の体重減につながっていった。薄味、栄養バランスの良い食事、運動量以上のカロリーを取らない、間食なし、飲酒なし。適度な運動。ある意味当たり前。

 

これらを徹底することで、1年かけて約9%最大体重時より軽くなった。やったー!!だが筋肉量と持久力まで落ちてしまったので、がんばって筋肉をつけて復活することが当面の目標。それからアルコール摂取はあっても1,2か月に1回程度となり、今やビールを飲むと頭が痛くなるようになってしまった。変わるものでございます。

 

 

主治医は、わたしが山関係の仕事をしているのを外来医からきちんと情報引継ぎしていて、術後は毎日質問はあるかと聞ききながら、”田島さん、山は2か月は登っちゃだめですよ、ダメ。”と先手を打ってきた。えー、先生話が違う~と思いつつ、早く復帰しようと体を動かすと体調を崩すことが何回かあったので、やはりせんせーの言うことはちゃんと聞かなくてはいけない。

 

結局、計画より1か月以上復帰が遅れることになり仕事関係者に迷惑をかけしてしまった案件もあったが、緊急事態宣言の延長なにがしでほとんどの講習、イベント自体がキャンセルになったので、身体には優しい、でも懐にはよくない状況になった。まあのんびりしろとってことよねと、2021年前半は養老院生活のようでありました。

つらつら書いたが、来月の定期検診をもって1年の通院終了。何も悪いところがなさそうなので大丈夫です。体重を落とすことができたしよかった!(リバウンドなし)

健康でいることは本当に大切です。適度な運動、快眠、快食、快便。無理しない。心がけたいですね。

 

それから軽い病状の入院や手術生活でも”家族”との関わりはとても重要であった。簡単な手術なら前日の付き添いも当日も来院しなくていいと思っていたがそうはいかなかった(もしもの時の判断などあるのでしょう)。ずいぶんと負担をかけてしまったけれど、身内の存在のありがたさを知った。

 

 

・パンダの生態に興味を持つ

退院後、あまり体を動かせない状況でふと目に入ったのが1月末のパンダの動画。ニュースでも流れていたが衝撃を受けた。

絶対中に人が入っているんじゃないの?

 

ここから一気にパンダについて興味がわく。確かにぱんだってかわいいけどよく知らない。


調べていくと、パンダはふだんは1頭で生活していること。子どもを産むと母パンダは子どもが1.5歳ごろになるまで子育てしながら一緒に暮らすこと、そのあとはまた1頭暮らし。ダンナとは一緒にいない。とにかく1人いえ一頭。乳房は4つ。繁殖期は1年のうちたった2,3日。グルメ。竹ばかりが好きなわけではない、環境でそうなった、竹は栄養価が少ないからエネルギーを消費しないよういつも動かず寝ている、中国のパンダ外交、中国のパンダはきれいさにこだわらず、ありのままの姿でよしとなんだか泥だらけで茶色い、子育て放棄した母パンダに代わり義理母パンダがお世話する、動物園では暗い狭い巣穴に代わってオリがその代わり、ワン!って鳴く、熊系統と猫系統がある、とか知れば知るほど面白いし不思議な動物。

 

この動画の最初にでてくるパンダはアメリカのワシントンDCにあるスミソニアン動物園のMei Xiang。世界で2番目の高齢出産(人間でいう60歳)の22歳のおかーさんパンダで8月に産んだばかりの赤ちゃんパンダがいるというではないか。さらにライブCamがあり24時間見られるという。これは時間つぶしにも観察するにもちょうどいい!!

 

と毎日のように見るようになり、全部おんなじに見えたパンダもやっぱり個性があって顔の違いもわかるようになってきた。行動パタンもそれぞれで予期せなかったり笑いあったり驚いたりとなんとも不思議な動物でありました。手足が短いからかかわいいんだよねー。手を使って食べるせいかしぐさが人間に似ていると思う。

 

わたしのお気に入りはそのスミソニアンの赤ちゃんパンダXiao Qi Ji(今1歳5か月でそろそろ親離れ)。その姪っ子の中国にいるDou Ban(姪と叔父なのに同い年というのが面白い)、パンダの野生化プロジェクトから戻ってきた喜悦ちゃん。興味のある方はライブカムこちらからどうぞ。

 

アメリカスミソニアン動物園のライブカム。楽しいのは日本時間20時―22時頃、現地時間6-8時ごろ、朝庭に出る前の親子の様子が見られる。

https://nationalzoo.si.edu/webcams/panda-cam-classic

 

どうばんがいる中国のライブカム。継母、継弟と一緒に暮らしているが、そろそろ引っ越し、子離れか。12時、15時、17時ごろにタケノコをムシャムシャ食べる映像が見られる。

https://live.ipanda.com/xmwl/06/index.shtml?channelabled=0

 

 

ほんとうに癒される。成長を見守ってます。なんだか遠くにいる親戚のおばちゃんな気分の毎日です。
 

2/28:生後6か月のあかちゃんチージー。黒いのはトレー。まん丸同じ大きさ、餅か。

12/26:1歳5か月のちーじー。大きくなってもおかーさんに育てられた”巣穴”に戻ってまた寝ているのがカワイイ。ほんと大きくなったよね。

中国にいるどうばん。茶色い。。。おじさんのちーじーとよく似ている。
(ちーじーのおねーちゃんBaobaoの子ども。Baobaoは育児放棄してしまったが、今年また出産し(双子)、子育てをきちんとしているとのこと)。メイシャン母さんにしたら孫娘と息子が同級生という。


12月30日:庭ででんぐり返ししたり遊んでいるちーじーの動画。

10月末地盤調査始まる
10月末地盤調査始まる

 

・リカちゃんハウスプロジェクト本当に始動

2005年の愛知オリエンテーリング世界選手権を最後に選手としての活動を終わりにし、次に考えたのはオリエンテーリングはもちろん、多くの人にナビゲーションスポーツにもっと興味を持って楽しんでもらうことだった。オリエンテーリングそのものについてはプロフェッショナルがいてまわっていくだろうが、実際普及を考えたときに本当の普及に結びついていないことが気になっていた。興味のある人はたくさんいる、でもすべがない、その中で何かできないか考えていた。

 

まず最初にやったのが、今やポピュラーとなっている写真撮影形式のロゲイニング。のちにフォトロゲイニングという名前も付けられた。このアイディアを最初に形にし立ち上げたのが、TEAM阿闍梨でやった奥武蔵レクロゲイニング。地図読みをもっと気軽に楽しみ、奥武蔵に足を運んでもらおうと企画した。ちょうどデジカメが出てきたころで時代ともマッチした。2005~2012年にかけて毎年ではなかったが実施、最初こそ100人程度の参加者だったが当時で400人の参加者があったのだから時代の先を行っていたのかもしれない。他でも同じようなロゲイニングが出てきたところで、イベントそのものは発展的終了に。

 

次に考えたのが、ナビゲーションが好きな人たち、興味ある人たちに、講習や練習会といった”学びの場”を作り、”仲間”をつくること。具体的な形としてTEAM阿闍梨が講習会等を開催し、それに参加した人たちで作るClub阿闍梨が出来上がった。大人の部活動の始まり。現在会員数約70名、2022年で10年目となる。

 

同時期に、本格的な山でのナビゲーションにチャレンジし、キャンプ要素を含むOMM JAPANに携わることになった。よりナビゲーションに興味を持ちひょっとしたらオリエンテーリングをやる人が出てくるかもしれない。形を整え、結び付けられたらまた面白いだろう。オリエンテーリングの運営と違いとまどいがあったが、立ち上げから運営が安定するまでの2014年~2019年、競技責任者として引き受けた。

 

そしてリカちゃんハウスプロジェクト。おそらくこれがライフワークとして最後になるだろう。ナビゲーションが好きな人たちが集まれる、ナビゲーションを学びたい人が訪れられる”クラブハウス”的な場所をつくること。里山に拠点をつくり、そこから裏山に出かけられるようにする。これはClub阿闍梨の忘年会で6,7年前に公言していたが、土地条件が合わずすぐにはかなわなかった。あげく、イベント会場のイージーアップテントを見てこれがリカちゃんハウス?と揶揄されたりもした。

 

50歳になったらリカちゃんハウスで隠居生活を始めようと胸に秘めた想いは消さずにいたが、正直このコロナ禍であきらめていた。それにわざわざこの歳で借金生活をしてまでやることなのかと悩んでもいた。が、タイミングは突然やってくる。今年5月末に条件が良い土地を紹介してもらい7月に取得。今までの悩みはなんだだったんだろうというくらいあっという間にことが進んだ。いよいよ本当に始まる。来年の今ごろどうしているでしょうね。楽しみ。


このプロジェクトをどうしようと迷っている頃、背中を押してくださった方々に感謝しています。

 

 

他にもいろいろたくさんあるけれど、2021年の3大トピックス、これでおしまい。

 

 

今までは先のやりたいことしか考えていなかったが、50歳が近づくにつれ残りの時間で何ができるだろうか、と考えるようになっていることに気づいた。こういうのも悪くない。今となっては思い描いていた生き方と違うが、それはそれこれはこれ。身の丈に合ったわたしらしい過ごし方をしていきたい。

 

つくづく1人ではできない、周囲の力を借りながら支えられやりたいことをやってきたと思う。本当にありがとうございます。2022年もまた楽しそうなことをやっていこう。引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

今年1年大変お世話になりました。

みなさま、来年もどうぞよろしくお願いいたします!

(まずは家の外壁ペンキ塗りかな)

 

なにはともあれ健康第一。

 

良いお年をお迎えください。